歴史と旅と鉄分少々

日本史好きな私が濃く好き勝手に書いていくかと。旅もたまにあり。好きな音楽や映画なども。気紛れに。旅がらみで、鉄もあるかも。。

かわせみやませみ

去年のメディアで多く取り上げられた「かわせみやませみ」に乗って、人吉へ13日から一泊二日で行って来ました。

夏に、SL人吉、いさぶろう、はやとの風に乗って、鹿児島へ行って来ましたので、これで肥薩線のD&S列車制覇です。

先ずは行きは「かわせみ」。カウンター席です。

もう岡山後楽園で「かわせみ」を見た時に、感激したのはこれですね。

しかも岡山と人吉は深い関係がありますから。

それは後に書くとしまして、この旅行は10月に申し込み。丁度、J2で長崎が昇格決定、山口が降格圏脱出したばかりの微妙な時期。ただ当時、降格圏争いしていたのが熊本とは知らずに人吉を選んだことで、それからの数週間、もやもやして過ごすことに。最終的には熊本も山口も残留したことに心から安堵しました。

話は戻しまして、乗ったのは3号。1番人気ある便で、カウンター席も人気出そうで、取れないかもしれないと言っておられましたが、さすがJR九州旅行。餅は餅屋。きちんと取ってくれました。

さて。いよいよ出発です。

内装が細やかな程拘ってます。透かし彫りやテーブルの木材とか。

ちょっとラグジュアリーな気分に。同じく話題になった「ななつ星in九州」はやはり手は出せないですからね。

今回の旅行には目標?を幾つか掲げていました。

その一つが「かわせみやませみ」の車内でのみ売られている「くまのスイーツボックス」を手に入れること。

「くま」と平仮名なのは、「熊本」と「球磨」の両方を掛けているからなのでしょう。作られているのは人吉市のお店だそうで。だから熊本駅発の「1号」では販売はしてないのかな。これは土日祝日限定ですから、是非食したいと。「或る列車」もね、なかなか手を出せない身としてはこれで満足です。

キャラメルマロンと苺のシャルロット。

おしゃれな名前です。

この日は受験生応援イベントがあり、勝ち揚げ饅頭の配布があり、美味しかったです。これ、一勝地駅のお土産らしいので、人吉に売られてなかったのが残念。

その一勝地駅から地元のキャラが乗ってくるなんて、驚きました。しかし高過ぎて、連結部分が通れないというハプニングも。

また乗りたいと思わせるあたり、今までのD&S列車とは違うと思いました。

そういうわけで、人吉駅に到着です。

岡山後楽園

元旦は後楽園も無料。

有難いことです。

後楽園は1700年に造られた大名庭園。今は殆ど芝生ですが、当時は田んぼが多かったようです。

そして後楽園の象徴でもある唯心山はもう少し後に造られたようですが。

後楽園を造るように命じた池田綱政。先程の池田光政の嫡男。母は本多忠刻と千姫の娘、勝姫。

この話をすると、また長くなりますので、これも次の機会にするとしまして。

ただ姫路城ゆかりが深い両親を持つ息子が後楽園を造らせたということで、姫路城に行ったら行きたくなるのです。


入園してまもなく、写真を撮っている人だかりが。

何かなと思えば、「かわせみ」がいると。

運命を感じてしまいました。何故かは後々のブログで分かるかと思いますので、今は割愛しまして。

かわせみ、小さくて分かりにくいのですが、確かに見つけました。幸せです。一度、肉眼で見てみたかったので。

それから園内を散策。

岡山後楽園は川の中にありますので、平地。しかし森林があるので、川の中だということを忘れてしまいます。

岡山城から殿様が舟で行っていたわけですが、その舟入場跡もあり、歴史もきちんと感じられます。


そうしているうちに、丹頂鶴の園内散歩が始まりました。檻の中にいる丹頂鶴しか見ていなかったので、元旦から、しかも飛ぶ姿も見れて感激。

なかなか見れませんからね。時間もありますが、後楽園へ行くというのもなかなか難しいですから。

岡山藩学校

岡山駅へ到着し、そこから徒歩でとある場所へ。いつもなら路面電車で城下まで行くのですが、その間にある史跡に行ってみようと思ったのです。

それは、岡山藩学校跡。藩校ですね。池田光政が創ったから、かなり早い時期。山口県萩市にある明倫館も早い方ですが、それよりも早い。

と言いますか、岡山藩学校が無ければ、明倫館も早く出来なかったはず。という話はまたの機会に。

住宅街の真ん中。学校のところにある為、観光客は他に居なくて、今の御時世、学校付近でうろうろ、目線を動かしていただけで、怪しい人物だと認定されてしまう中、結構、探しました。矢印みたいな案内板が無いのですから。そのくせ、街に設置してある案内図には載ってあるから、観てきて欲しいのですよね?

多少手こずりましたが、どうにか着きました。学校の周りを一周するという、不審者ばりばりの迷い方で。


確かに藩士の子弟が通うには良い場所。岡山城も近いですし。益々、当初の明倫館の位置と似た感じがします。

石橋や池跡は当時のままらしいので、少しだけタイムスリップ。



そして、また歩いて、後楽園へ行くのでした。